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「やがて君になる」の先進性

 私はアニメが好きである。
そもそもアニメ好きで、ああいう絵を自分の手で描きたいという思いからイラスト制作をやり始めて今に至っている。
そしてある程度自分で絵が描けるようになった今は、「自分の作画の参考にする」という観点から改めてしっかりとアニメを見るようになった。
  私はアニメ自体好きだが、とりわけ好きなのは「美少女アニメ」「萌えアニメ」と言われるジャンルだ。
だが昨今のアニメを見ていると、このジャンルの概要が変容してきていることを感じる。

 大きなきっかけを感じたのは自分が一番熱をあげて深夜アニメを追いかけていた2012~13年ごろ。
この頃放送した「きんいろモザイク」「ご注文はうさぎですか?」「のんのんびより」などはいずれもヒット作となり、アニメ界隈を大きく盛り上げた。
そしてこの3作に共通しているのは原作が「まんがタイムきらら」という漫画雑誌を原作としていることと、それに絡んで特異な作品の内容をしていることにある。

 特異な内容とは、「作中に男キャラがほとんど、あるいは一切登場しない」「女性同士の友情をこえた感情の描写がある」ということである。

 これらがヒットする前の美少女アニメ界では「ラブコメ」が絶対的な主流であり、こういった「百合アニメ」というようなものは、一部のマニア向けとして存在していただけだった。
だがこれらの作品が画期的だったのは「同性愛」というものにはびこる「本来タブーだから隠れてこっそりやる秘め事」という暗いイメージを、思い切って記号化した設定と描写を行うことによってポジティブでとっつきやすい作品に仕立て上げたことだ。

 こういったテイストで先陣を切りヒットを飛ばしたもので記憶にあるのは「ゆるゆり」などがあるが、これらの「きららアニメ」を見た後だと「ゆるい百合」と自ら題しているこの作品ですらちょっとハードに感じてしまうほどだ。


 そしてこれらの「きららアニメ」のヒット以降この作風の作品は急増する。
これらは「日常系」というジャンル名でくくられるようになり、男キャラは一切登場しない、あるいは出てきても脇役止まりとなり、ストーリーのメインは「女子同士の友情」となった。
「男女の色恋沙汰」を描くラブコメはもはや美少女アニメの主役から陥落しつつある。


 この「日常系」の台頭と「ラブコメ」の衰退という変化には視聴者層の変化が原因にあると思う。
すなわち「アニメオタクの軟弱化」である。

 ラブコメ全盛時代のアニメオタクにとってアニメの美少女は「○○は俺の嫁」というワードに代表されるように「恋愛対象」だった。
ヒロインと自分が恋仲になることを想像し、男主人公を自分に投影していた。あるいは自分自身がアニメの世界に入ることは不可能なので、主人公に自分の推しヒロインを幸せにするという役割を託していたのだ。

 ところが美少女アニメの主要視聴層である10代~20代が世代交代した。
受動的で異性との交際に興味が薄い「草食系」の人間が増加し、「○○(ヒロインの名前)は俺が守る!」という主人公の能動的姿勢に共感できない人間が増えた。
そこに「○○ちゃんが幸せな様子を観察できればそれでいい」という受動的感覚が見事に合致したのだ。


 当初自分はこういった「日常系」に懐疑的だった。
日常系の面白さに一定の理解は示しつつも、女性キャラが一番輝き可愛い瞬間というのは異性に恋している瞬間だと思っていた。
それに比べると日常系は物足りず、料理の一番美味しいところだけをわざわざ集めて食べているような浅ましさを覚えていたというのが正直なところだ。

 だが時の流れというのは恐ろしい。
私は日常系のヒロインが、同性の友達を大切に思う気持ちから友情をこえた感情を時折発露し、一線を戸惑いつつ行ったり来たりする様に慈しみの感情を抱くようになっていた。

 その感情の尊さに比べたら、ヒロインが異性に好意を抱き相思相愛になりたいと奮闘する様は、野蛮とまでは言わないまでも、とても能動的で肉食的な感情に見えるようになってしまった。

 始めに言っておくが私はハードな百合はまだ理解できてない
キスくらいならまだ尊い範囲で受け止められるが、女性同士で棒状の物を抜いたり挿したり...に興奮できるほどは達観していない。

 だが時を経て、私は可憐な少女同士がお互いを思う感情の延長線上からゆっくりと百合の扉に歩みを進めていく尊さを理解できるようになってしまったのだった。


 そんな私は当然今クールも複数のアニメを追いかけているが、その中で自分の心を鷲掴みにしたアニメがあった。
それが「やがて君になる」だ。

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 軽くあらすじを述べると、主人公の小糸侑(こいとゆう)は「人を好きになる」という感情が分からない女の子。

 幼い頃少女漫画などを読んで人に恋することに憧れていたが、いざ自分が告白を受けるとそれにまったくときめかない自分に気づき、そのことに戸惑い絶望していた。

 彼女は入学した高校である先輩に出会う。彼女の名前は七海燈子(ななみとうこ)。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群の完璧少女で、生徒会に所属し、生徒会長選挙に立候補しようとしていた。

 七海は異性からの告白に対して、「告白されて心がときめいたことはない」と言い放つ。
その発言から小糸は彼女も自分と同じ「人を好きになれない人間」なのではないかという期待感を抱き生徒会に入る―――というところまでが一話だった。

 ちなみに私は原作を知らない。なのでこれからどういうストーリーになっていくのかというのは全く分からない。
ちなみに自分はアニメで気に入ったり感銘を受けたりしたら原作を買うようにしている。なので基本的に最初に作品に触れる機会はアニメである。

 そして2話では、要所要所の言動から七海は小糸に恋愛感情を抱いているらしいということが読み取れるようになる。
そしてこの回ではっきりと、七海は小糸に告白する。

 私が驚愕したのはこの後だ。
小糸は七海に告白された後、彼女が自分の知らない「人を好きになる」という感情を当たり前のように抱くことができるということに裏切られたという感情を抱き、そして嫉妬するのだ。

 だがここで一旦冷静になってほしい。七海が好きになったのは同性である小糸なのだ。そこに対して抵抗感はないのか。
しかし小糸が憧れているのは「異性と相思相愛になること」ではなく、「誰かを好きになるという感情自体」だとするならば、この嫉妬も納得することができる。


 ここで話は大きく飛ぶが、今社会はLGBTに関することで揺れている。
新潮社が自社の雑誌でLGBTを露骨に身も蓋もなく批判し、世間から集中砲火を浴びた上、社内からも抗議の声が起こる、一部の本屋が新潮社の雑誌を置かないと宣言するなど異例の事態が次々起こり同誌は休刊に追い込まれた。
 一方この騒動のきっかけとなった、この雑誌にLGBTの存在を否定する主張を寄せた杉田水脈議員に彼女の所属する自民党は大したお咎めをしなかった。
それどころか杉田氏が自身を擁護して応援してくれる議員も多くいたという本人の話から自民党の党としての姿勢自体に批判が集まりつつあり、LGBTの権利に関する問題はある種国をあげたうねりになりつつある。


 一方で「やがて君になる」の小糸は七海がレズビアンであるとかそういったことへの抵抗感など微塵も抱くことはなく、ただ純粋に「人を好きになるという感情を知っている」ということに嫉妬している。
そのまったく汚れを知らない瑞々しく若々しい感情にフィクションのキャラながら感じ入ってしまったのだ。


 ここでこれまでの近年の百合アニメ史のことを改めて思い出す。
百合というディープなイメージを「ゆるい百合」と自ら題し文字通りとっつきやすい百合を提供することによってこのジャンルの門戸を大きくした「ゆるゆり」。
そしてさらに思い切って開き直り、百合をよりライトなコンテンツにし、「日常系」というジャンルを開拓した一連の「きららアニメ」。

 だがこれらの作品はあくまでどこかで百合というものへのネガティブなイメージを背負っている気配がした。
「世間にどんなに後ろ指を指されようが、俺達はこれが好きなんだ!」と叫びながら、世の中に受け入れられてないことに負い目を感じているような。


 だが「やがて君になる」は「人を好きになれない」というもっと根本的な問題にスポットをあてることによって、「まあ女の子しか好きになれないけど。それが何?」と言ってのけたのである。

 私はこの瞬間にこれまで語ってきた百合アニメ史や世の中のLGBTに関する世の中の動きや発言などが全て一瞬で小さな消し炭のようになっていくのを感じた。

 「やがて君になる」はそして小糸と七海は私達の常識の範囲などを遥かに超えた2歩3歩先の精神的高みで感情を交錯させているのである。
私達はそのことを肝に銘じ、「神々の戯れを見せて頂いている」という感情でこの作品に向き合わなくてはならないかもしれない。


 ついつい筆が乗ってまた怪文を生み出してしまったので、ここでフォローを入れておく。
ようするに私が言いたいのは「やがて君になるってアニメ面白いよみんなも見よう」である。

 私がこの作品にこんなに感じ入ったのは自分自身にも「人を好きになれない」という感情が少なからずあるからだと思う。
今まで私は異性に恋愛感情を抱いたことはない。友人になった人間も人として好きになったことはない。
人のみならず、趣味に関しても本当に熱中したことはない。いずれのときも熱中しそうな自分を第三者視点で俯瞰で見ている自分がいて、私を嗜め醒めさせるのである。

 私自身自分のこういう感情とは日々向き合っていて、少なからずコンプレックスである。
だからこそ自分と同じ人間をテーマに描こうとしているこの作品に強く惹かれた。
この作品がどういう着地点を迎えるのか非常に興味がある。

 だからもしこの作品が導入のためだけにこういう設定をちらつかせていただけで、小糸もあっさり七海に魅了されてふたりで百合百合してくだけのようなアニメに今後なっていったとしたら、私は劇中の小糸のように「ずるい」と言い放って視聴を止めることだろう。

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tag : 2018秋アニメ 感想 考察 やがて君になる

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